スリランカに来たら日本人にはぜひ訪れてもらいたい場所がコロンボにある。
それがこちら。
ジャワルダナセンター
ここはスリランカ元大統領であるジャワルダナ氏の軌跡を展示する資料館である。
彼の詳しい情報はwikipediaにて。
(「大統領」としては「第2代」。ただ、イギリスから独立した際は議院内閣制のため「大統領」は象徴であり、大統領制に移行して選挙を経て就任した「権限を持った大統領」としては「初代」となる。)
なぜここを訪れてほしいかというと、、、
実はこの方、戦後の日本を救った人なのである。
どういうことかかなり端折って言うと、、、
【日本の戦後処理の際】-------------------------------
米英ソ中(特にソ連)
「日本を分割して、4か国でそれぞれ統治しよう!戦争に負けたのだから日本の自由は制限されるべき!」
(wikipediaより引用)
という主張に対して、、、
サンフランシスコ平和条約締結会議の場で51か国の代表を前に、若きジャワルダナ大統領(当時はイギリス連邦自治国セイロンの大蔵大臣)は言った。
「(本来はセイロン代表なので、)私はセイロン政府の立場としてしか話せないのですが、、しかし、アジアの人々が抱く日本の未来に対する一般的な思いをここで声高に述べたいと思います。」
「なぜアジアの人々は日本が自由であることを熱望するのか?それは我々と日本に長い年月の関係がある為であり、アジアの人達が日本に対して抱く高い敬意からだ。」
「(戦前、)日本だけがアジア諸国の中で強力であり、自由であったし、又我々は指導者及び友人として日本を信頼していた。」
「(仏陀の言葉から引用して)憎しみは憎むことによって消えず、愛することによってなくなる。」
「我々は機会を日本人に与えねばならない。」
とキーマンが集まる場で名スピーチを炸裂!
その場が拍手喝采!
アジア諸国の総意として、また仏陀の教えを踏まえた考えとして、その場にいた多くの代表の共感をかっさらった。
これが日本分割論の流れを逆転させたと言われている。
さらに、米英も対ソ連戦略等を考え、分割案は否決されることになる。
結果、多額の賠償を背負うも分割されずに独立した国として自ら復興を成し遂げる道を進む。(スリランカ、カンボジア、ラオスは賠償金請求も放棄している。)
同じく敗戦国であり、東西に分断されたドイツとは違う運命を辿ることとなった。
このスピーチ文は鳥肌ものなので、ぜひ全文を読んでもらいたい。
日本語訳はかなり変なので、読める人は英語版をぜひ。
(各写真をクリックすると拡大できます。)
日本語版
英語版
(資料館でいただいた資料を撮影して使用。画像が荒くて申し訳ないです。)
---------------------------------------------------
こんなこと全く知らなかった。
ものすごい重要なことなのに多くの日本人は知らないのではなかろうか。
少なくとも、学校教育の中で教えられたことは一度もない。
(逆にスリランカの多くの人は知っている。。)
日本の命運をかけた時に、日本によって損害を被った国の一つであるにもかかわらず、彼は日本を守る側についたのである。
決して大きな国ではないにもかかわらず、仏陀の言葉を用い、そしてアジア全体の意見として力を持たせたスピーチは本当にしびれる。
この発言は当時の日本側も予期せぬことであり、かなり驚いたそうだ。
ちなみに、この縁があったことから日本が戦後最初に国交を結んだ国はスリランカ(当時はイギリス連邦自治国セイロン)となる。
このスピーチがあったサンフランシスコ講和条約の日本代表である吉田茂は、
「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない。」
と言ったそうだ。
そんな彼の軌跡や彼にまつわる物を展示しているのがこの資料館である。
ガイドの人に案内されて一通り見て回った。
肖像画
例のスピーチの原本
日本の援助で作られた彼の日本に因んだ資料館
彼の日本にまつわるたくさんの物が展示されている。
何気なく飾られている数々だが、屏風とかどれも「本物」だという。
「本物」ということはこれ何百万円もするんじゃないのか!?と思い、「これ1個で家が買えるね!」とガイドに言ったら「そうね!」と大爆笑していた(笑)
え、「大観」とかサインが書いてある屏風もあったけど保存状態大丈夫なのか。。
と心配してしまう自分がいた(笑)
とまあ、真面目な話以外も少し書いてしまったが、ほんの少しでも日本を救った人の軌跡に触れ、記憶に強く刻むことができた。
これは一生忘れないだろう。
あと、最後にガイドから聞いたしびれる小話をもう一つ。
ジャワルダナ初代大統領は1996年に亡くなったのだが、その際に残した彼の遺言だ。
「死後、右目はスリランカ人に、左目は日本人に提供してほしい。」
この遺言をもとに、彼が亡くなった際に片目の角膜は日本のある女性に移植されたそうだ。
彼は今でも日本を見続けているだろう。
彼に恥じないアジアのリーダーとしての日本を作っていかねばと背筋を伸ばされる思い出となった。
yohei
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ここはスリランカ元大統領であるジャワルダナ氏の軌跡を展示する資料館である。
彼の詳しい情報はwikipediaにて。
(「大統領」としては「第2代」。ただ、イギリスから独立した際は議院内閣制のため「大統領」は象徴であり、大統領制に移行して選挙を経て就任した「権限を持った大統領」としては「初代」となる。)
なぜここを訪れてほしいかというと、、、
実はこの方、戦後の日本を救った人なのである。
どういうことかかなり端折って言うと、、、
【日本の戦後処理の際】-------------------------------
米英ソ中(特にソ連)
「日本を分割して、4か国でそれぞれ統治しよう!戦争に負けたのだから日本の自由は制限されるべき!」
(wikipediaより引用)
という主張に対して、、、
サンフランシスコ平和条約締結会議の場で51か国の代表を前に、若きジャワルダナ大統領(当時はイギリス連邦自治国セイロンの大蔵大臣)は言った。
「(本来はセイロン代表なので、)私はセイロン政府の立場としてしか話せないのですが、、しかし、アジアの人々が抱く日本の未来に対する一般的な思いをここで声高に述べたいと思います。」
「なぜアジアの人々は日本が自由であることを熱望するのか?それは我々と日本に長い年月の関係がある為であり、アジアの人達が日本に対して抱く高い敬意からだ。」
「(戦前、)日本だけがアジア諸国の中で強力であり、自由であったし、又我々は指導者及び友人として日本を信頼していた。」
「(仏陀の言葉から引用して)憎しみは憎むことによって消えず、愛することによってなくなる。」
「我々は機会を日本人に与えねばならない。」
とキーマンが集まる場で名スピーチを炸裂!
その場が拍手喝采!
アジア諸国の総意として、また仏陀の教えを踏まえた考えとして、その場にいた多くの代表の共感をかっさらった。
これが日本分割論の流れを逆転させたと言われている。
さらに、米英も対ソ連戦略等を考え、分割案は否決されることになる。
結果、多額の賠償を背負うも分割されずに独立した国として自ら復興を成し遂げる道を進む。(スリランカ、カンボジア、ラオスは賠償金請求も放棄している。)
同じく敗戦国であり、東西に分断されたドイツとは違う運命を辿ることとなった。
このスピーチ文は鳥肌ものなので、ぜひ全文を読んでもらいたい。
日本語訳はかなり変なので、読める人は英語版をぜひ。
(各写真をクリックすると拡大できます。)
日本語版
(資料館でいただいた資料を撮影して使用。画像が荒くて申し訳ないです。)
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こんなこと全く知らなかった。
ものすごい重要なことなのに多くの日本人は知らないのではなかろうか。
少なくとも、学校教育の中で教えられたことは一度もない。
(逆にスリランカの多くの人は知っている。。)
日本の命運をかけた時に、日本によって損害を被った国の一つであるにもかかわらず、彼は日本を守る側についたのである。
決して大きな国ではないにもかかわらず、仏陀の言葉を用い、そしてアジア全体の意見として力を持たせたスピーチは本当にしびれる。
この発言は当時の日本側も予期せぬことであり、かなり驚いたそうだ。
ちなみに、この縁があったことから日本が戦後最初に国交を結んだ国はスリランカ(当時はイギリス連邦自治国セイロン)となる。
このスピーチがあったサンフランシスコ講和条約の日本代表である吉田茂は、
「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない。」
と言ったそうだ。
そんな彼の軌跡や彼にまつわる物を展示しているのがこの資料館である。
ガイドの人に案内されて一通り見て回った。
肖像画
例のスピーチの原本
日本の援助で作られた彼の日本に因んだ資料館
彼の日本にまつわるたくさんの物が展示されている。
何気なく飾られている数々だが、屏風とかどれも「本物」だという。
「本物」ということはこれ何百万円もするんじゃないのか!?と思い、「これ1個で家が買えるね!」とガイドに言ったら「そうね!」と大爆笑していた(笑)
え、「大観」とかサインが書いてある屏風もあったけど保存状態大丈夫なのか。。
と心配してしまう自分がいた(笑)
とまあ、真面目な話以外も少し書いてしまったが、ほんの少しでも日本を救った人の軌跡に触れ、記憶に強く刻むことができた。
これは一生忘れないだろう。
あと、最後にガイドから聞いたしびれる小話をもう一つ。
ジャワルダナ初代大統領は1996年に亡くなったのだが、その際に残した彼の遺言だ。
「死後、右目はスリランカ人に、左目は日本人に提供してほしい。」
この遺言をもとに、彼が亡くなった際に片目の角膜は日本のある女性に移植されたそうだ。
彼は今でも日本を見続けているだろう。
彼に恥じないアジアのリーダーとしての日本を作っていかねばと背筋を伸ばされる思い出となった。
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